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Channel: グリーン経済と私たちの未来-経済・環境ジャーナリスト石井孝明
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放射能、子ゆえの闇 母親たちとの対話で学んだリスクコミュニケーション

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「ひと親の 心は闇にあらねども 子を思ふ道に 惑ひぬるかな」
(「後選集」藤原兼輔。この歌集は951年ごろ成立、この歌は源氏物語にも引用されたという)

放射能への不安を持つ母親との対話

「5歳の娘の放射能による健康被害を妹が心配している。現状を説明してくれないか」。知人に頼まれた。気楽に引き受けたが、その後に緊張した。「私の言葉で、お母さんらや子供の人生を惑わしたらどうしよう」。そんな危惧を抱いたためだ。内閣府低線量グループワーキンググループ報告書。
この報告書は一読を勧める)他の疾患も含めて、福島・東日本の現在の放射線量で健康被害の可能性は極小だ。
私は主にエネルギー問題を取材してきた記者で、放射能の専門家ではない。ただしアゴラ研究所のエネルギーシンクタンク「グローバルエネルギー・ポリシーリサーチ」(GEPR)に参加させていただき、低線量被曝の情報を調べている。そして説明のために、以下のポイントを強調する資料を集めた。
「放射線リスクについて科学者の認識は一致している。「100ミリシーベルト以下の低線量被ばくでは、他の要因による発がんの影響によって隠れてしまうほど小さく、放射線による発がんのリスクの明らかな増加を証明することは難しい」(内閣官房低線量被曝に関するワーキンググループ報告書」

「日本経済の先行きは大変不透明だ。失業や不況で子供のために年間数百万円はかかる学費・生活費を親が近未来に支払えないリスクがある。危険度の少ない放射能リスクに右往左往するより、資産を増やすことに力を注ぐ方が子供の未来のリスクを減らす合理的な行動だ」
「原発の推進、反対に関係なく、「健康被害がほぼありえない」というのは、良い情報だ。それを前提に未来を考え、福島と東北の復興を私たちは支えるべきだ」

そして緊張して会合の場である横浜市内の知人宅に向かった。

ネット情報の手軽さと危険

しかし拍子抜けした。当日集まった7人の0-8歳の子供を持つ母親たちが冷静で、私の意見に素直に同意したためだ。私は逆に母親たちに取材をした。専業主婦から会社員までの30歳代の母親たちで保育園の保護者仲間だった。生活は安定している典型的な横浜の中流層だ。

学歴は多様だが全員文系で、放射能の知識は皆無でどこに情報があるか分からない。主な情報収集手段は「ネットの閲覧」で、新聞、テレビはわずかだった。手軽であるため、まずネットの検索を使っていた。しかし、その結果集まる情報の洪水に、誰もが戸惑っていた。またネット情報を含めて各メディア、そして政府の情報は信頼していなかった。

相互に話し合う中で、「この情報はおかしい」「この人は変だ」と気づいた例が多くあった。ただし子供がいるゆえに、「怖い」と絶叫する単純で危険を強調する情報が心に残ってしまうそうだ。このグループの母親らは自分の情報解釈が子供のためにゆがむことを自己認識していた。「素晴らしいこと」と私が評価すると「冷静な人が集まった」と答えが返ってきた。母親のサークルは、同じような性格、考えの人がグループを作る傾向があるそうだ。「過激に心配するグループの母親の一人は、夫と別居して沖縄に引っ越しました」(母親の1人)という。

「『子ゆえの闇』という言葉が古来ありますね。子供のことになると親は冷静な判断ができなくなる」。冒頭に掲げた1000年前の変わらぬ親心を示す和歌を引用して、私がこのように指摘すると誰もがうなずいた。

私は「子ゆえの闇」の例として示すつもりの情報を使わなかった。被曝でパニックになった人々、デマ情報を拡散する人たちのサイトだ。コメント欄では不安を持つ母親が集まり、相互に不安を増幅させる危険な状況が観察できる。

また子供の尿を官僚に持っていけと迫る福島の母親の写真、寒空の中で子供に横断幕を持たせて東電に抗議する母親の写真を掲載したサイトもパソコンに登録しておいたが使わなかった。これらの行動は社会通念によって判断すれば「狂気」に分類できる。子を思う気持ちは理解するし、母親らを糾弾するつもりはないが、困惑を持って私は眺めてしまう。こうした母親は自分と子供と家族を不幸にしていくだろう。

ちなみに読者の方はこれらのサイトを読み込む必要はない。「暗闇をのぞくものは、その暗闇からのぞかれていることを知るべきだ」(ニーチェ、独哲学者)。マイナスのエネルギーを発散する人とつながると、その闇に取り込まれてしまう。会合に出た健全な母親たちに、この情報を伝えなかったのも、そうした理由のためだ。

多様な考えを持つ人とのコミュニケーションが効果

今回の母親らとの会合から、リスク・コミュニケーションについて、次のように考えを持った。

「多様な考えを持つ人との濃密なコミュニケーションが、人々を合理的な行動に導く可能性が高い。孤立した母親たちが、前出のネット情報のようなおかしな情報の隘路に迷い込む」

「情報の海は迷いやすい。そのため「キュレーター」(美術の評価人、転じて目利き)を探すことが必要ではないか。信頼できる専門家、ジャーナリスト、有意義なサイトが役立つ。またそれは少数でいいが、複数持つべきだ」

「 情報の解釈は、さまざまなバイアスが加わってしまう。特に母親の場合は子供の安全のためにゆがむ。その危険性を常に認識するべきだ」

「こうした取り組みの前提は、正しい情報である。多くの社会問題は「何が正しいか」が明確でない。幸いなことに、低線量被曝問題については「科学の分かる範囲」は明確だ。その「正しい」情報を参照して、市民は行動するべきだ」

「特にお母さん方に訴えたい。10歳までの子供への影響度は母親が一番大きい。その子供達が、恐怖を抱いたり、政府や企業への憎しみを覚えたりする状況に陥らせてはいけないと思う。母親の恐怖や怒りは子供に伝染する。子供には宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の詩のように「怖がらなくてもいい」と話し、寄り添うことが必要ではないか」

福島の原発事故後の騒擾を、私は「ばかばかしい」と考えている。起こる可能性のほぼない健康被害に比べると、現在の社会と個人生活の混乱の大きさはまったく釣り合わないためだ。

私は記者として、情報をめぐるコミュニケーションを生業(なりわい)としている。いらぬおせっかいかもしれないが、おかしな情報によって、多くの人が混乱し、苦しんでいる現状を見過ごすことはできない。

しかし実際の取り組みは難しい。正確な情報を分かりやすく伝えても、それによって他人を動かすことは容易ではない。放射能をめぐる問題で、「伝える」という自分の仕事の重みと難しさを改めて感じている。

月並みなことだが、正しい情報を提供するという記者としての自分の仕事を通じて、日本が原発事故の混乱を沈静化させることに協力していきたい。

石井 孝明 経済・環境ジャーナリスト ishii.takaaki1@gmail.com

(追伸)
1)リスク・コミュニケーションの取り組みは、個人で学び、思索を始めた段階だ。何が必要か、どうすれば適切な情報を社会に広げられるか、市民の皆さまから感想、意見を賜れば幸いである。機会あれば、私が講演の形で上記の会合のように説明し、意見交換することもしたい。必要なら上記メールまでご連絡いただきたい。

2)エネルギー研究機関 GEPRでは、低線量被曝の健康影響について情報を集め、無償で公開している。読者の皆さまにご利用いただければ幸いである。

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